様々な祈り方について
「いつどこでも、主キリストによって、神に賛美と感謝をささげることは、まことにとうとい大切な務めです。」
絶えずあきらめずに祈る事
使徒パウロは キリスト者がいつも、どこでも祈るのを勧めています。「どのような時にも、聖霊に助けられて祈り、願い求め...絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。」(エフェソ6,18)「目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい。」(コロサイ4,2)このように勧める聖パウロは 主イエスご自身の「気を落とさずに絶えず祈らなければならない」という励ましを繰り返します。絶えず捧げられ、あきらめないで、ずっと続ける、又、忍耐と希望を持つ祈りは、キリスト者の生き方の特徴であります。
勿論、絶えず、いつも、祈る事は簡単ではありません。何時間もかけて祈り続けること、あるいは、繰り返して、繰り返して決めた祈りを捧げることも役に立ちません。確かに、このような祈り方は疲れと嫌悪を生み出すことしか出来ません。真の祈りは安らぎと憩いを与えるものです。絶えず祈る事、それは私たちを愛し、私たちが愛そうとする神に自分の心と人生を向かわせることです。又は、神の現存の内に生き続けたい、その愛に留まりたいということを望むことです。祈るとは、愛することです。
しかし愛することは非常に難しいです。自己愛のせいで、私たちは自分に打ち込む傾きを持っているし、神を第一にして、神の望まれる事を実現する代わりに、私たちは自分のニーズを満たそうとするからです。砂漠の隠遁生活を送った人が昔、次のように言いました。「神に祈る事が絶えまない苦労を要求する…死ぬ日まで祈りが難しくて、とても辛い戦いを求める」と。
ここで、祈るために助けとなるいくつかの方法をしめしましょう。これらの方法はキリスト教の宝であり、初代教会の時から大勢の人が体験して、証を残した結果です。それらの方法は次のようです。
霊的な読書(Lectio divina聖書の朗読に基づいた祈り方)
時課の典礼、教会の祈り(liturgia horarum一日中、司祭、修道者と共に祈る事で、絶えず祈る事を学びます)
瞑想(Meditatio 神との出会いの第一歩です)
黙想(Oratio 沈黙の内に三位一体の神との親しさを味わうこと)
心の祈り(Cordis oratio)(聖霊の道をゆっくり歩むこと)
ロザリオ(Rosario)マリアと共に神の神秘性を瞑想し、探ること)
霊的な読書(Lectio divina)
霊的な読書は聖書の教えや物語を祈りの土台とします。4世紀の砂漠の隠遁者が特にこの祈り方についてよく語りますが、中世時代に(1150年)GuigueU le Chartreuxシャトル会のギグ2世はその祈りにオリジナル形式を与えました。何世紀にも渡ってベネディクト会の修道者たちはこの祈り方を広げ、一般の人に教えました。霊的な読書は四つの順にしたがって進行します。それはLectio(読む)、Meditatio(黙想する)、Oratio(祈る)、Contemplatio(観想する)という4つのステップです。
1−lectio(読む)聖書の選んだ箇所を 出来るだけゆっくり読みながら、その中にある信仰の教えを探さずに 特に使っている言葉、出て来る人物、語っている出来事などに注意を払うことが大切です。
2−Meditatio(黙想する)沈黙の時間を取ってから、読んだ箇所について瞑想したのち、どのようにそれを自分の生き方に適用したらよいかを考えます。
3−Oratio(祈る)瞑想した朗読の言葉や印象を与えた個所を使いながら、どのようにそれらが自分の信仰を養ったり、強めたりするかを、神に話します。どうしても、自分の心を神に開く必要があります。
4−Contemplatio(観想する)神の教え導きを受け入れる為に 黙想の内に自分の心、精神,魂を尽くして 黙想しましょう。
霊的な読書という祈り方を実現するために 聖書、また その日のミサのために使われている典礼の朗読を利用することを勧めます。
時課の典礼 教会の祈り(liturgia horarum)
時課の典礼は おもに賛美と嘆願の祈りであって、キリストと共にささげる教会の祈りであり、またキリストへの祈りでもあります。確かに、時課の典礼とは教会の公の共同の祈りで、御自身のからだ、即ち教会と共に捧げるキリストの祈りです。教会の賛美であるこの祈りは 一日中のリズムを通して、毎日の時を聖化し、変容させる目的を持っていますが、その中心はミサの祭儀です。司祭と修道者の活動が 特に、この祈りに支えられています。しかし一般のキリスト者も自分たちの日常生活を聖化するために時課の典礼を教会の祈りとしてよく利用します。時課の典礼はおもに詩編と聖書の他の部分、更に、教父や霊性の師たちの著作によって構成されています。 これが教会の祈りの主な部分です。
教会の祈りは読書から始まり、そして順に朝、昼、晩、寝る前の祈りで終わります。毎日の時を聖化するこの時課の典礼は自然に、教会と共に絶えず祈る事を教えます。そのうえ、ミサ祭儀をよりよく深く味わうのに具体的な支えとなります。
瞑想(Meditatio)
キリスト教的な祈りは何よりもまず 人間と神との親しい出会いであり、愛と信頼に満たされている絶えず続ける対話です。自我を捨てさせるこの祈りは 神と他の人々に対する心を開き、憐れみ、赦しと思いやりの豊かな実を結び、実らせます。瞑想によって 祈る人は神の実際の現存を静かな心で受け留めます。そして、主の祈り、また他の祈りの言葉をゆっくり味わいながら、聖母マリアと同様に心に思い巡らします。瞑想は 人の知恵よりも、心の英知を要求します。またこの祈り方は人の想像力をよく利用します。例えば、聖書の個所を読んでから、ペトロの船、ナザレの村、ガリラヤの道を歩くイエス、エルサルムの神殿、マリアにあいさつする天使などを目を閉じたまま思い描くのです。
黙想(Oratio)
この祈り方は言葉よりも自分の心の愛と魂の希望を友情の絆によって神に捧げます。神は解決するべき問題ではなく、発見しなければならない神秘ですから、この祈り方について三位一体のエリザベトは「私は黙って、神に耳を傾けたまま、神を愛そうとします」と書きました。黙想の祈りは何よりもまず神に対する心の飛躍です。
聖人たちの体験を参考にして、次の方法を勧めます。
1− 祈りの期間を決めること(5分、10分、15分、30分など)、そしてそれを必ず守ること。必要なら、何度も自分の時計を見ないように、目覚まし時計のアラームを利用したらと思います。
2− 一日の中で一番落ち着く時、また、疲れていない時を選んで、決めた祈りの時を毎日、忠実に、沈黙の内に過ごすことが必要です。無償で、条件なしで、神に時間を捧げる習慣を身に着けるようにしましょう。
3− 神の前で尊敬の態度を表しながら、出来るだけ長い間 静かで、動かない姿勢を保つようにしましょう。(例えば 座る、ひざまずく、ひれ伏す、など)姿勢が絶えず変えらないように気を付けましょう。
4− 黙想が始まる前に短い祈りを捧げ、あるいは、福音の短い個所を読みましょう。自分の内に祈る聖霊の働きが始まるには普通15分かかりますから。
5− 神の愛を自然に受けながら、自分の心の奥底にある愛を神に捧げてください。襲ってくる気を散らす思いを追い払いながら 静かに神に自分の心を向かわせるように 例えば神の名をゆっくり唱えましょう。
6−祈りの時が終わったら、神に感謝しましょう。
7−大切なことは 神に捧げた自分の祈りを絶対に判断しないように。豊かであろうと、乏しかろうと、祈りはいつも聖霊の実りであり、その実りは 必ず祈った人の心に神との親しさを注ぎます。
心の祈り(Cordis oratio)
心の祈りは 同じ言葉を何回も繰り返す祈りです。人が呼吸しながら「主よ、憐れみたまえ」とか「神の子、主イエス、罪人の私をあわれんでください」とか「我が神、我が救い主、イエスよ」という短い文章をゆっくり唱えます。この伝統的な祈り方は東方正教会の特徴であり、祈る人の中心にキリストの現存を与えます。なぜなら、キリストの名を呼ぶことで、キリストが祈る人の心を訪れるように招くからです。また、同じ言葉を何回も、何回も繰り返すことで、祈る人は気を散らす事から守られていて、キリストのことだけを考えるようになります。キリストの思い出は心を清め、神への飢えと渇きを深めます。結局、この単純な祈りは聖霊の道をゆっくり歩むことを教えています。
ロザリオ(Rosario)
ロザリオは、心の祈りによく似ています。カトリック教会の特徴のある祈り方です。聖母マリアと共に、キリストの神秘を黙想しながら、自分の生き方が神の内に深い根を下ろすようになります。ロザリオの祈りとは、「聖母マリアへの祈り(天使祝詞)」を数えながら、福音書の中に記されているキリストの主な出来事を黙想していく祈りです。
珠を利用して祈っていくという形は、かなり古くからあったようです。ロザリオという言葉は、ポルトガル語、スペイン語、イタリア語からきたものと言われていますが、それは「バラの冠」を意味します。珠をくりながら唱える祈りが、ちょうどバラの花輪を編むような形になるからです。
ロザリオには、マリアのお告げから、イエスの誕生、宣教活動、受難、復活、昇天、更に聖霊降臨とマリアの被昇天と天にあげられた栄光の様々な出来事を黙想させます。救い主イエスの神秘の全生涯を包括する黙想の形によって、祈る人が簡単に、自然に マリアに対する愛と信心、更に、キリストに対する信仰を深めます。ロザリオの祈りは 単純な祈り方として、大勢の人に愛されているのです。
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