小さな黙想。考えさせる面白い物語  2018年9月から



人間の神性

 昔、全ての人間は神のようであったとインドの古い伝説は語っています。しかし、人間は自分たちが持っていた神性を悪用にばかり使いました。それに我慢できなくなったブラーマ神は、人間から神性を奪い取り、絶対に見つけられない場所に隠そうと決心しました。ブラーマ神は、すべての神々に「その隠し場所について意見を出すように」という命令を出し、会議を招集しました。しかし、集まった神々の意見は、なかなか一致しませんでした。

 デュルガ神は「人間が持っていた神性を、地球の暗い洞窟の土に隠そう」と言いました。それに対して「ダメだ。人間は物好きで、探すことが好きなので、いつかその洞窟を見つけて土を掘ってしまう」とシヴァ神が反論しました。「それなら、海の一番深い淵に隠してはどうでしょう」とカリ神が提案しました。この提案に対しガネシュ神は「それもダメ、ダメ。いずれ人間は湖だけでなく、すべての海洋を探検するでしょう。ですからそんなところに隠しても簡単に見つけ出してしまうはずだ」と答えました。「それでは、一番高い山の頂上はどうでしょうか」とラクミッシュ神が勧めました。「それもダメだ。人間はなんでもできるし、チャレンジするのが好きだから、そこも直ぐに見つけてしまうよ」とスリヤ神が否定しました。

 しばらく神々は何も言わず、重い沈黙が続きました。すると、クリシュナ神が次のような提案を出しました。「土も、海の水もダメなら、空はどうでしょうか。人間の手が届かないところ、例えば月の何処かに隠したらいいんじゃないでしょうか」。しかし、カリ神が「それも絶対にダメです。人間は賢すぎて、きっと月に行く方法を考え出し、月の表面を歩くようになるでしょう」そう言って激しく反論しました。議論を聞いていた神々の悩みは、ますます深くなりました。

 ガンガ神は、ため息混じりに「やはり、人間の神性を隠すための安全な場所など何処にもありません。人間にその神性を返す他に方法がありませんねぇ…」と言いました。するとブラーマ神も賛同して「そうだ、そうしよう。人間が探さない場所がある。それは人間の心の奥底だよ。人間は自分の心の奥底を決して調べない。だからそこに神性を隠そう」と言いました。それを聞いたすべての神々は、全員一致してこの提案に賛成し大喜びました。

  インドの古い伝説によると、神々が人間の心の奥底に神性を隠したその時から、人間はそれを見つけるために地球の洞窟を調べたり、高い山に登ったり、海の深い淵を探査したり、月の表面を歩いたりしたそうです。しかし今に至るまで、自分の心の奥底に隠されている神性を見つけ出すことはできなかったそうです。

  シラ書はこの伝説に似ている話を紹介しています。神の知恵(神性)は天空を巡り歩き、地下の海の深みを歩き回ったが、何処へ行っても憩いの場所を見つけなかった。だから、神は人の中に住むように命令しました(参照:シラ書24,1-12)。確かに、聖書は創世記の時から神が人間にご自分の息吹を与えられたことを教えています。ですから、私たちは神性がどこにあるのかよく解かっています。私たちの人性と神性はの神であり、の完全な人間である「キリストと共に神の内に隠されている」(コロサイ3,3)ことを知っています。私たちの人性はキリストに結ばれているので、私たちはイエスの神性に与るようになりました。クリスマスを祝う私たちは、この神秘を思い起こしながら、神に感謝しましょう。言葉と行いによって、私たちに与えられたその神性を大勢の人に示しましょう。


友を求めて

  親しい友を見つけるために、若いオスの象は群れから遠く離れて深い密林に入って行きました。歩いていると小さなサルと出会いました。「サルくん。君が、僕の友だちになってくれたら、嬉しいです」と言いました。するとサルは「だめ、だめ。あなたは体が大き過ぎて、僕のように木から木へと身軽に移動することができないでしょう。あなたの大きな耳は決して翼の換わりにはなりません。」と答えました。

  次に象は、2メートルもある大きなヘビに出会いました。「ねぇ、ヘビくん。僕の友だちになってもらえないかなぁ…」と言うと、ヘビは「いくらあなたの鼻が長くて僕と似ていても、僕にとっては大き過ぎてあなたの体を抱き締めることは不可能です。おまけに、草の中を這う私はきっとあなたに踏み砕かれるでしょう。あなたの友だちになるなんて無理です」と答えました。

 寂しくなった象は、自信を無くしてフラフラと歩いていると一匹のウサギを見つけました。「ねえ、ねえ、ウサギさん。僕の友だちになりたくないですか」と尋ねました。ウサギは「とんでもないことです。あなたはあまりにも大き過ぎて、私の狭い巣穴に入ることが出来ません。あなたの食べる食物の量と私が必要とする食べ物の量は全然違います。もし、あなたと一緒に暮らせば、直ぐに大飢饉の状態になるに違いありません。と言ってウサギは象の願いを断りました。

  ウサギの巣穴の直ぐ傍にとても小さな池がありました。この池に住んでいるカエルを見て「カエルくん。君こそ、僕の親しい友になってください」と象は願いました。「だめですよ。あなたはあまりにも重過ぎて、私のように飛び跳ねることはできないでしょう、おまけに、この小さな池の水を飲んだり、池に体を入ればあっと言う間にこの池の水は干上がるでしょう。あなたは大き過ぎます。さあ、さあ、あちらへ行ってちょうだい」と忙しそうにカエルは自分の小さない池を守るために答えました。

 密林のどんな動物と出会っても、若いオスの象はどの動物からも同じ答えを受けました。彼は友だちになってくれる動物がいないので群れに帰ろうと考え始めたちょうどその時、急に密林の動物たちが恐怖で逃げまわり出しました。不思議に思った象は、逃げようとしていたオカピを呼び止めてその理由を聞きました。「大変です。猛獣のトラが誰れかれかまわずに殺そうと狙っているのです。あなたも早く逃げないと…。」と話してくれました。若いオスの象は、今こそ皆の命を救うチャンスの時だと思いました。そして猛獣のトラと出会い「僕の友だちを殺さないで!」と強い口調で言いました。するとトラは「人のことに構うな!これは俺の問題だ」。トラが自分の態度を変えるつもりがないと分かって、若いオスの象は命懸けで猛獣のトラに何度も体当たりをして、とうとうトラを追い出しました。「僕がここにいる限り、もう二度とここに来るな」と象はトラに宣告しました。若いオスの象が密林の動物たち皆の命を守ったと聞いて、動物たちは彼の傍に集って来ました。そして代表の年寄りのアリクイは「あなたは私たちの友になるために、ちょうどよい重さと大きさを持っているので、皆、喜んであなたを友として迎えます。よろしく、ね!」と宣言しました。幸せでいっぱいになった若いオスの象は、いつまでも皆を守ることを約束しました。

 「知恵は自分にふさわしい人を求めて巡り歩き、道でその人たちに優しく姿を現し、深い思いやりの心で彼らと出会う」(知恵6,16)。イエス・キリストは天の栄光から離れ、この世に来られた時に友となる人を捜し求めました。しかし、人々は様々な言い訳をして「私は商売で、忙しい」「私は父が亡くなったばかりです」「あなたの教えは酷すぎて耐えられない」「あなたは悪霊に取り付かれている」などと答えてキリストの誘いを拒みました。猛獣のトラのように人々を狙っている死に打ち勝ち、全人類を守るために、イエスは命をささげました。私たちは永遠に守られているからこそ、イエスの親しい友になるのは当たり前のことではないでしょうか。キリストの愛のサイズも重さも広さも私たちにぴったりしています



王様の後継者

 年老いた王には子供がありませんでした。そこで、自分の後継者になるのに相応しい人を見つけるために、次のようなことを考えました。王は王国のすべての青年たちを宮殿の広間に集め、彼らに色々な試練を与えたのです。大勢の青年がいましたが、その中で後継者に相応しいと認められたのはたった10人でした。その10人の青年に最後の試練を王が与えました。彼らの手に一粒の小さなトウモロコシの種を渡したのです。「この国は、農業によって栄えている。私の後継者になりたい者は、土を耕すことや野菜を育てることを知るべきである。それゆえ、お前たちはこの種を家にもって帰り、植木鉢に植え、世話をせよ。3週間後に、芽を出したトウモロコシの苗を私に見せよ。一番上手くトウモロコシの種を育てた者を私の後継者としよう。」王は説明しました。

  10人の青年たちは家に帰り、言われた通り植木鉢にトウモロコシの種を植えました。ところが、ある青年はいくら丁寧に種の世話をしても、トウモロコシの芽が出てきませんでした。それを見ていた近所の友だちが、「芽が出ないのはきっとこの種が悪いからじゃないかい。トウモロコシの種はみんな似ているから、他の種と変えても誰も分からないだろう。」と不正をすることを勧めました。しかし、この青年は正直だったので、友だちの言うことに耳を傾けませんでした。「王様が私にくださったのと違う種を育てるなら、私は王様を騙すことになります。3週間後にどうなるかは分かりませんが、私は王様からもらった種を育て続けます。」と青年はきっぱり言いました。

 3週間。10人の青年たちは宮殿に集まりました。青年たちのうち9人は、芽の出ているトウモロコシの苗を自慢しながら王様に見せました。王は頭を振りながらトウモロコシの苗をゆっくり見回しました。「これらは私がお前たちに与えたトウモロコシの種を育てて出た芽か?」と王様が聞くと、9人の青年たちは「はい、そうです。王様。」と答えました。王様は10番目の青年のところにやって来ました。ところが、この青年はただ土を入れた植木鉢だけを持っていたので、恥ずかしくなって震えていました。きっと王様は怒って、自分を宮殿の牢屋に入れるだろうと思っていたからです。「お前は私が与えた種を、どのように育てたのか?」王様が尋ねると「僕は、毎日、丁寧に世話をして、肥料を与え、よい空気に当たるようにしましたが、このトウモロコシの種はなかなか芽を出しませんでした。」青年は震えながら答えました。そう聞いた王様は、右の手を高く上げ、王国の民に暫く静かにするように言いました。

 「王国の民よ。ここに皆に相応しい次の王がいらっしゃる。私は10人の青年に茹でたトウモロコシの種を与えたのだ。この種からは絶対に芽は出てこないはずだ。ところが、この9人の青年たちは、他の種と入れ替えて私を騙そうとした。彼らは王になるには相応しくない。王に必要なのは実直さと誠実さである。王は真理に基づいて国を支配すべき存在であるからだ。この青年は王に必要な実直さと誠実さを持っている。したがって、私の後継者に選び、皆の王になる事をここに決定する。この喜びを大いに祝おうではないか。」と王様は断言しました。誰が王になるか首を長くして待っていた国民は、選ばれた青年に温かい握手で祝意を表しました。

 「目的は手段を正当化する」と言われています。この世で成功するために人々は、実直さと誠実さを無視する傾向を持っています。「正直な人は幸せを継ぐ」(参照:箴言28,10)、また「正義は正しい道を歩む人を守る」(箴言13,6)と箴言が教えています。「目的は手段を正当化する」と思って人を騙す人は、結局自分自身を騙し軽んじています。洗礼によって真理の霊を受けた私たちは、模範的な者として正直に生き、誠実に行い生きていきまし


侮辱のプレゼント

 あるところに年老いた座禅の先生がいました。何でも我慢強く耐えることが遠くまで知られていました。いつも淡々とし、どんな人間も、どんな思いがけない出来事も、災いも全く恐れていませんでした。この先生には、たくさんの弟子がいました。先生は彼らに「どのようにして自分を自制するのか」、「冷静さを保つためには、どうすればよいのか」などを教えていました。

 ある日、この先生の評判と名声を損なわせようと無頓着で無謀な青年兵がやって来ました。この青年兵は酷く無礼な言い方で人を傷つけることで有名でした。彼は人の弱さと欠点を攻撃し、評判を損なわせるのが上手でした。この青年兵は、座禅の先生をそそのかすために、大声で先生を侮辱し始めました。弟子たちは先生を守るために傍へ集まって来ました。すると先生は青年兵を誘って言いました。「それじゃあ、町の広場に行こう。大勢の人の前で私を侮辱した方がいいでしょう。そうだ、それじゃあ、明日、町の広場に行こう」青年兵は先生の誘いに乗ることにしました。青年兵は、心の中で「ようし、そうしよう。これは面白くなるぞ…」と思いました。

 次の日、先生と青年兵の戦いの結果を見るために、町の広場に大勢の人が集まりました。朝から夜遅くまで青年兵が先生につばを吐きかけたり、公園の砂や小石を投げたり、先生の先祖や友人たちの悪口を言ったり、その他考えられないような侮辱やののしりを言い続けました。しかし、先生は絶対に口論しませんでした。青年兵が侮辱する間中、ずっと冷静な態度を示し、落ち着き払っていました。そうするうちに青年兵は、群衆から野次を浴びて、段々と恥ずかしくなってきました。結局、皆の前で自分の失敗を認め、頭を下げて逃げてしまいました。群衆は座禅の先生を大いにほめたたえました。

 弟子の一人が先生に近寄って、次のように尋ねました。「先生はどうして何も反抗せずに、何一つ怒りの態度も示さず、この酷い侮辱に堪えることができたのですか。なぜ自分の先祖や友人たちの評判を守るために弁明しないで、何も言わなかったのですか」。先生は質問で答えました。「あなたに捧げられたプレゼントを貰いたくないなら、このプレゼントはいったい誰のものですか」。「プレゼントを捧げた人のものです」と弟子は答えました。「はい。その通りです。同じように受け入れたくない侮辱や罵りや悪口も、それを言った人のものです。なぜなら、その人は心の中でずっとそのすべての悪いものを持っているからです」と先生は説明しました。

 侮辱される時、あるいは悪口の的になる時、私たちは無意識に強く反応したり、怒ったり、復讐したりしがちです。ですが、「悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」(参照:ローマ12,21)と聖パウロは勧めています。悪に対する冷静な態度や自制する努力が必ず良い実を結びます。怒りは悪を拡大する危険性をもたらします。だからこそ、怒りと憤りを抑えることが大切なのです。「怒ることがあっても、悪魔にすきを与えてはなりません」(参照:エフェソ4,27)ということも聖パウロは勧めています。冷静を保ち、自制しましょう。私たちを攻撃する悪い言葉や無礼な行いに対してはそれを受け取らず、無視をし、差し出した人に返すことを学びましょう。そして主イエスが教えたように、「敵を愛し、私たちを憎む者に親切にしましょう。悪口を言う者に祝福を祈り、私たちを侮辱する者のために祈りましょう」(参照:ルカ6,27-28)。








トップページに戻ります