2023  A年

待降節の主日



四旬節の主日


 
 

待降節第1主日
待降節第2主日
待降節第3主日
待降節第4主日
主の降誕



         待降節第1主日  A年  20221127日 
 グイノ・ジェラール神父

                    イザヤ2,1-5  ローマ13,11-14   マタイ24,17-44

  イエスは「来られる」お方です。昔、クリスマスの夜に、ベツレヘムに生まれ、イスラエルの民と共に住むために来られました。今は、毎日、ミサ祭儀と教会の秘跡によって、私たちの魂に住むようにイエスは来られています。最後に、私たちの死の時に、一緒に永遠に住むためにイエスは私たちを迎えに来られます。イエスの最初の到来は謙遜で隠れていました。イエスは神の小羊として来られました。今のキリストの到来は神秘的ですが、愛で満たされています。イエスの最後の到来とても素晴らしいですが同時に私たちに不安をもたらします。なぜなら、イエスは審判者として来られるからです。

  待降節は何よりもまずイエスを期待する時です。待つことは自分に不足しているもの、あるいは人を恋しく思うことを認めることです。キリスト者である私たちにとっては、待降節の期間は自分の心と魂に希望を育てる時です。イエスと一緒にいなければ、私たちに一番大切なものが欠けているのでこの空虚な場所をどうしても満たしたいと強く感じます。キリスト無しでは、私たちは生きることができないと待降節は思い起こさせます。

  神がイスラエルの民に宣言し約束した平和を預言者イザヤは首を長くして望んでいます。イザヤは神が与える完全な世界を期待しています。聖パウロにとって信仰の内にることは、救いをもたらす神を忘れることです。それを防ぐために、キリストを衣として着て、目を覚ましていることが大切だと聖パウロは勧めています。この賢明な助言を聖パウロは今聞いたばかりのマタイの福音から受け取りました。

 待降節は、ご馳走やプレゼントなどの楽しい祝いの準備期間になってはいけません。待降節はイエスを迎える大切な心の準備期間です。それを忘れるなら、聖パウロが忠告した「酒宴と酩酊(めいてい)、淫乱(いんらん)と好色、争いとねたみ」の世界に入り込む危険性があります。お腹いっぱいで眠りに落ちないために、私たちは神と隣人への愛を自分の内に養うことによって目を覚ましていなければなりません。

  私たちの期待が、預言者イザヤが預言した平和の世界の準備になりますように。この預言は決して実現されない願望のままであってはなりません。平和を緊急に実現することが急務です。ですから、待降節が神との出会いの道であるように努めましょう。実際にイエス・キリストを身にまといましょう。つまり、母マリアがしたように、イエスが私たちの内にご自分の体を形作られることを快く承諾しましょう。イエスの愛と光が私たちを覆いますように。愛すること、赦すこと、慰めること、分かち合うことを私たちが学ぶために、イエスを自分の内に大いに歓迎しましょう。アーメン。

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           待降節第2主日  A年 2022124日   グイノ・ジェラール神父

                 イザヤ11,1-10      ローマ 15,4-9     マタ3,1-12

   神は話す時は、いつも人の心に語ります。「慰めよ、わたしの民を慰めよ、エルサレムの心に語りかけよ」(参照:イザヤ40, 1-2)と預言者イザヤを通して神は願っています。すでに、神は預言者ホセアを通してそれを告げました。「わたしは人をいざなって荒れ野に導き、その心に語りかけよう」(参照:ホサア2,16)と。神は私たちの心に語りかけるだけではなく、「良い羊飼いが羊の世話をするように」(参照:イザヤ40,11) 主は私たちをふところに抱くのです。

   神は私たちを裁くためではなく、私たちを救うために来られることを聖書全体は教えています。そういう訳で、神は人の心に語りかけるのです。審判者は、人の良心に語りかけます。救い主である神は人を赦し、慰め、導き、そして世話をします。審判者は、人を罰し、裁き、拘留(こうりゅう)の状態について何も気を配らずに人を刑務所に送り込みます。

   私たちのために、神は真理と愛、溢れる命の道です。神が人の心に語りかける理由は、人の心をご自分の現存と平和と喜びで満たすためです。神との親密な生き方を聖ぺトロは「新しい天と地」(参照:2ペトロ3,13)、聖ヨハネは「新しいエルサレム」(参照:黙示聖21, 1)、そしてパウロは「キリストの神秘的体」(参照:2コリント2,27)と表現しています。

  ですから、この待降節の間にもう一度、私たちと共に親密に歩んで行きたいと願う神の望みと期待を再発見しましょう。また、平和をもたらす神の命の言葉を受け止めるために私たちの心を大きく開きましょう。アーメン。

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                 待降節第3主日  A年  20221211日  グイノ・ジェラール神父

                      イザイ35,1-610   ヤコブ 5,7-10  マタイ11,2-11

  今日の典礼の色はピンクです。この色は喜びです。今日の三つの朗読は、喜び、希望と信頼を表わしています。喜びは砂漠に花を咲かせます。希望は人生の試練を耐え忍ぶ助けになります。信頼は神への信仰を強めます。

  「雄々しくあれ、恐れるな・・・見よ、神自身が来られる、あなたたちを救うために。・・・とこしえの喜びがあなたたちの顔を光輝かせる」と預言者イザヤは教えます。「忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。主が来られるから」と聖ヤコブは励ましています。「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、耳の聞こえない人は聞こえる」とイエスは宣言します。それはご自身の喜びに私たちを引き寄せるために、またご自分に対する私たちの信頼を支え、強めるためです。

 私たちを強く招く典礼の喜びは、先ず預言者イザヤの遠慮のない喜びです。次にヘロデ王監獄に閉じ込めている洗礼者ヨハネの心にある、誰も奪うことができない喜びです。そしてこの喜びは、試練と迫害にも関わらず希望を失わない聖ヤコブの忍耐し続ける喜びです。最後に、この喜びは私たちを癒し、私たちを救いに来るイエスご自身の喜びです。

  神が私たちに与えてくださる救いは永遠の喜びの泉です。この喜びは神から出てきて、神に似る者とするので、私たちの顔を照らし、私たちを光輝く者にします。実に、待降節は私たちを救う神の喜びに入る大切な季節です。この喜びによって私たちは信頼をもって試練を耐え忍ぶことや、恐れずに勇敢に信仰を証しすることができます。

 また、この待降節を通して、自分の内にある砂漠や荒れ果てた場所を発見するようにしましょう。この荒れ果てた土地は「恨み、惨めさ、絶望、軽蔑、利己主義」などと呼ばれています。ですから、神の喜びを掴みましょう。勇気を出しましょう。神は全てを新たにしますから。もし、私たちが世の罪の赦しを受けたなら、必ず神は私たちの砂漠に花を咲かせ、豊かな実を実らせます。そして、神の喜びが私たちの顔を光輝かせます。神の喜びと言えば、それは聖霊の実りです。この喜びは私たちを新たにし、聖なる者とします。ですから、主が与えに来る救いを待ち望みながら、大いに神に感謝しましょう。アーメン。

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       待降節第4主日  A年  20221218日  グイノ・ジェラール神父

            イザヤ 7,10-16      ローマ1,1-7      マタイ1,18-24

  世界の問題や日常生活の思いがけない出来事に直面して私たちの信仰は試練にあっています。そういう訳で、今日の典礼はとても難しい状況に直面した二人の人を私たちに見せようとします。

 その最初の人は、イスラエル王のアハズです。彼はエルサレムを攻撃する大勢の敵に直面しています。不安で脅えているアハズ王は預言者イザヤを通して神の助けを願うよりも、アッシリア人の王の人間的な助けを求めます。この解決策は最も悪い結果をもたらします。なぜなら、自分の王国を救うために、アハズ王はアッシリア人の支配下に自分を服従させるので必ずアッシリア人の偶像礼拝の影響を受け、イスラエルの民の信仰を破壊する危険にあうでしょう。幸いなことに、神は、預言者イザヤを通してイスラエルの民を敵からあらかじめ救い出しました。

 複雑な試練に直面するもう一人の人はヨセフです。彼はどうしても神の意志に従いたい正しい人です。ヨセフは決して自分の評判を守り、傷ついた自分の名誉の修復をすることを考えませんでした。ヨセフは神に向い、自分の心に語る聖霊の声を聴こうとします。アハズ王と違って、ヨセフは自分の内面的な平安を保つことができました。ヨセフは乙女マリアの内に聖霊が実現し始めた神秘を尊重します。密かに許嫁(いいなずけ)であるマリアとの縁を切ることを決めていましたが 神はすぐに天使を彼に遣わします。この天使はヨセフに彼の使命とマリアと生まれる子に対する役割を教えます。ご自分の救いの計画を実現するためにヨセフはどうしても必要な人です。

 試練に直面する私たちに神はヨセフを模範として示します。私たちも、人間関係をかえって複雑する人間の解決を捜し求めることをせずに、試練の時はすぐ神により頼むことをしましょう。神により新たにされた信頼と信仰をもって、思いがけない日常生活の出来事と出会うことこそ、私たちの大切な務めです。これにより、私たちが神を自分の救い主として受け入れる助けになります。神を知ることや神と共に生きることは不思議な素晴らしい希望の泉になります。

 全く解決がないと思われる問題に直面する時にこそ、私たちはイエスが共にいて、すべてを解決されると信じなければなりません。そのためにも、数日後に私たちを救うために来るイエスを歓迎する準備をしています。クリスマスの夜に生まれる神は、暗闇を照らし、私たちの人生をあらゆる面で光輝かせます。ですから、神における信仰を尽くしながら、自分たちと全世界の上に救い主である神の平和と喜びを引き寄せましょう。アーメン。

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        主の降誕の祭日  A年 20221224日  グイノ・ジェラール神父

             イザヤ 9,1-6      テトス 2,11-14     ルカ 2,1-14

  幼いイエスの誕生は始まりではありません。母マリアから生まれる前に、イエスは既に永遠の昔から父なる神と聖霊のそばで存在していました。私たちの歴史に生まれてきたイエスは、「肉になった」神のみ言葉です。イエスは、永遠に、父なる神と聖霊の交わりの中におられる神です。聖ヨハネは福音書の中でこの神秘を簡単にまとめました。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(参照:ヨハネ1,114)と。

  クリスマスの夜、人間と全く同じようになりたかった神を私たちは迎え歓迎します。生まれたばかりのイエスは 神の命が私たちの命に等しいものだと教えています。今夜、神は私たち一人ひとりに次のように打ち明けます。「わたしの目にあなたは価高く、貴くわたしはあなたを愛しています」(イザヤ43,4)と。人に注がれている神の愛が私たちを神聖な者にします。

 有名な司教聖アタナジオは宣言しました。「神人間になったのは、人が神になるためでした」と。「インマヌエル」、「一緒におられる神」は私たちを救い、神聖な者にするために人間になりました。神はご自分の腕を大きく開いて、愛と平和で私たちの人生を満たしたいのです。愛である神は、また私たちの命の光です。「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている」(参照:ヨハネ 1,4)と聖ヨハネは説明しました。イエスは私たちの暗闇を照らすお方です。イエスがもたらす光の内に真の光である「神」ご自身を見るよう、私たちは誘われています。詩編がそれを預言していました。「主よ、あなたの光に、わたしたちは光を見る」(参照;詩編36,10)と。確かに、神と共に私たちは「世の光」となり」天の天使よりも光輝く光を放つ者になります。

 母マリアからお生まれになったイエスを通して、神はご自身が誰であるのか、また私たちは誰であるのかをはっきりと教えています。神が私たちの間に、また私たちの内に住むように来られたからこそ、私たちは栄光で満たされた神の神殿になるのです。

 「肉になった」神の御言葉であるイエスは私たちの心を新たにし、聖霊は私たちの魂に自分の全ての賜物を注ぎ、父なる神は私たちをご自分の愛する子供とします。人間になったイエスは永遠に私たちの命に神としてのご自分の命のすべてとご自分の限りのない愛を注ぎに来られました。これこそクリスマスの喜びです。

  ですから、私たちの希望を満たすこの夜に、天使たちに合わせて、声を高らかにして歌いましょう。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」。アーメン。
       



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